哀・覚えていますか

 二年ほど前にゴリラ時代の同期の結婚式へと足を運んだ。奥手なことで知られていた男が勇気を出して結婚へとたどり着いた。実にめでたい式だったことを覚えている。ものすごく余分なことかもしれないが交通費もめちゃくちゃかかった。ここはよく覚えている。安直に結婚式に参加させてもらうよと言った自分を殴りたい気持ちになったのはここだけの話だ。京都に行くよりもお金かかるじゃん。地理が致命的に苦手だとこういうバグがある。切実にセキュリティパッチのリリースが求められている。仕事が色々大変だったし、結婚式に参列する前から限界になりすぎてゼロの酒を飲んで、お金を浮かせるために高速バスに乗った。
 当然のように乗り物酔いになって吐いた。たぶん三回ぐらいゲボった気がする。人間は吐くものがなくなると胃液やらなんやらよくわからん液体を吐くようになる。人はすごい。吐くものがなくなると酔いはおさまる。海軍の人たちが吐いて吐いて吐きまくったら楽になれると言っていたのを実感した。
 吐くものを吐いたが体調は悪い。なぜ俺は前泊をしなかったのか……。そう思ってしまうぐらい翌朝はバッドで最悪だった。駅前の牛丼屋でご飯を食べて、すぐにでも気絶したい体調のまま待ち合わせ場所のバスへと乗り込んだ。
 バスで久しぶりに合った元上司から「次はお前の番だな」的なことを言われた。次があるといいなと思いながらも当たり障りのない言葉を返した。ここらへんの記憶はものすごく曖昧だ。酒が抜けていなかったし、バスに揺られて会場までの道が曲がりくねっていたこともあって最高に気持ち悪い。ブラックブラックだけが救いだった。
 披露宴会場へと到着して同期たちのテーブルに座ると懐かしい顔ぶれがいた。最後に会ってから随分と時間が経過している。こいつら老けたなあと思いながら自分も太ったもんなと思いながら、なんとなく会話をする。会話の内容は大部分が家族についての話だ。
 そういえば僕らはそんな年齢になったのだなと思った。独身である僕と、同期の女性が能面のような笑顔を貼り付けながら話を聞く。メドローアのような場がそこにはあった。アバンストラッシュを打ちたい。
「嫁がな。妊娠するやん? 大変だなと思って弁当作りとか俺が担当するじゃん? 妊娠と育児期間限定じゃなくて、そのままタスクが継続的に以降する。期間限定だからとタスクを詰め込むと死ぬ。夫婦生活にもなバッファをな、持たせなきゃいかんのや」
「もちろん本気で頑張ることは必要や。でも、本当に自分は頑張っているんや、もう限界なんやというアピールこれがないと努力は伝わらん。うちはアピールしても伝わらんけど」
 先人たちが貴重な教えを伝授しようと喋る。その言葉には嘘はないのだろう。なぜならめちゃくちゃ早口だ。それと声のトーンが大きい。計算ずくでここまで喋れるような人間だったら、こいつも社長賞の常連だったのになと思った。
 式が進みスピーチが始まる。偉い人たちがなんとなく人生のためになりそうなことを言う。その中で「夫婦はお互いに言いたいことを言い合うのが大切です」たしかそんなことを言った気がする。一字一句合っているとは言わないが内容はそんな感じのものだ。なぜその言葉を覚えているかというと言葉を聞いた同期(男)たちが笑いながらそれぞれの意見を述べたからだ。
「言いたいことを言っていたら夫婦関係が破綻するんや」
「俺が7割ぐらい我慢することで家庭が円満になっている。そのことを俺は娘たちに言い聞かせている」
 スピーチとかどうでもええやんけと言わんばかりにテーブルでの話が加熱していく。
「付き合い始めは5:5で関係が始まる。時間が経過していくごとにこれが6:4もしくは4:6になる。負担が50パー50パーってことはない」
 彼らが言わんとしていることはなんとなくわかる。パートナーとの人間関係は対等な関係から始まり、どちらかが相手を追いかけるようになる。すくなくとも僕の場合はそうだった。その割合が許容できる範囲ならば問題ないのだけど、負担の割合が1:9や9:1になると大きな終焉がやってきてすべてが無に帰す。ここに例外はない。我慢する側は我慢したことを忘れない。でも、まあ、こいつらは笑いながら話をできているからたぶん大丈夫な気がする。いまのところ毎年送られてくる年賀状も連名だ。
 お小遣い2万円倶楽部会員たちの生活って大変だなと思う反面、誰かと人生をシェアできるというのはある部分では人生に豊かさを与えてくれるのだろうなと思った。結婚生活の話をする時にコスパの概念を持ち出す人がいる。結婚や愛をコスパで語ろうとする人はモテない。たぶん、モテないから悔しくて悔しくて仕方なくてコスパの話をするのだろうと思う。顔を真っ赤にしながら。
 彼らは愛の本質的な概念を理解できていない。愛とは見返りを求めない。結果として何か返ってくることはある。でも、多くは実らずにそのまま終わることの方が多い。実らないとつらいし苦しい。だけど自分から愛を撒かずに愛が返ってくることはない。だから僕らは愛を撒くのだ。実ったらいいなと思いつつ間違えたりしながら。
 スピーチが終わりそうになった時、同期は最後にこう言った。
「結婚生活で譲歩する場面が出てくるやんけ? その時な譲歩のラインは自分で具体的な数値を出してはいけない。絶対に無理をしたラインを出すとお前が死ぬ」
 なるほど、不動産投資の指値のようだ。誠意を見せろと言う時に具体的な金額を言ってはいけないという教えに似ている。結婚難しい。ぜんぜんわからんということだけがわかった。貴重な教えを聞いてこれが役に立つ機会があるのだろうかと考えたりして無になった気分を溶かすように酒を飲んで吐いて、ケーキカットやら記念写真の撮影やらものすごく重要な場面に立ち会えなかったのはいまでも反省しています。申し訳ない。でも酒が美味しいのがいけないんや。ちゅらい。切実に幸せになりたい。最近はちゃんと休肝日を作ってるので許してほしい。グッバイ。